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私が日本語教師になるまで②

(再掲:以前のブログより)
 
おはようございます。
私が日本語教師になるまで①
大きな勘違いをしたまま、頭の片隅にあった日本語教師のことが気になりつつも、
”英語楽しいし、英語の勉強を頑張ろう!”と心に決めて、それまで見向きもしなかった
「進学校」への進路変更を決意します。
どうして進学校にしたのか、というと日本語教師という職業が頭にちらつき始めた時に、
大学で勉強するという選択肢があるなと思ったからです。
あとは、英語に夢中だったので、海外留学も視野に入れていたこともあり、それなら(英語の)勉強頑張らなきゃいけないな〜と考えて進路変更しました。
そして、なんとかかんとか無事に合格し、大学受験に強い高校へと進学していくのでした。
日本語教師になるための本も読みながら、どこに進学しようかと迷っていました。
 
先生が勧めてきたのは、日本文学とか国語学とかそういう学科のある大学。
親が勧めてきたのは、地元の大学。
どっちも違うな〜と思っていた私は、 何を学びたいのか。
どこで学びたいのか、を考えて出てきた大学選びの条件はこちら。
  • 日本語専攻、つまり日本語を主に取り扱っている学科がある大学 →外国語としての日本語の勉強がしたい
  • 外国語も学べる大学 →英語以外の外国語にも触れたい
  • 国公立 →お金の事情。親からの条件です。
 
それで見つけたのが、大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)だったんです。
そして、高校2年生の時に事前に外大の日本語専攻の先生に連絡を取って大学まで見学に行きました。
決めたら止まらない(止まれない)私は、センターで大失敗し、
さらに先生からの強い反対を押し切って、大阪外大1本勝負で前期後期を申し込みました。笑
当時の私は「根拠のない自信」に溢れていましたから、行けると思い込んで(信じて)いたんですね。
なんとかかんとか滑り込みセーフで大学にも合格し、大阪外大で日本語の勉強をし始めました。
日本語専攻の仲間たちの多くは日本語教師になりたくて外大を受験した人でした。
全員ではないですけどね。 だから、ここにいたら日本語教師になれるとも思っていました。
日本語の勉強はとっても楽しかったです。
日本語ってこんなに面白いんだ!という発見の毎日で刺激的でした。
一方で日本語のことを考えていけばいくほど、
深くて難しくて逆に苦しくなる時もありました。
私が好きだったのは、チョムスキーの授業、IPAの授業、日本語学の授業(類義語)、教育学の授業、第2言語習得過程理論の授業、かなぁ。
そうそう、日本語専攻には、日本人学生だけではなく留学生も多くいたんです。
私たちと同じように授業に出席して、質問して、レポート書くんですよ。
こんな難解な日本語がわかるなんてすごすぎる〜〜〜!とよく思ったものです。
すごく楽しかった日本語の授業。
だけど、私は人生で初めて挫折を味わうことになります。
つまらないことかもしれませんが、当時の私にとっては大きな出来事だったんです。
次回は、その挫折について書いてみようと思います。
続く・・・