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私が日本語教師になるまで③

(再掲:以前のブログより)
おはようございます。
”もっと伝えたい!”を叶えるコミュニケーションスムーザーのTomokoです。
 
今回は、私が人生で初めて挫折した時のことを書きたいと思います。
私は、大学時代にボランティアサークルに所属していました。
日本語専攻の学生が所属できるグループで、大学周辺に在籍する外国人児童(今は外国ルーツの子供と言いますね)に日本語支援を行なっていました。
そのボランティアサークルの入会説明会の日、日本語教師の先生がその組織を統括していたのですが、その先生が最初に言った言葉は今でも忘れることができません。
 
私たちの活動は、子供達の人生に関わります。よくも悪くも、その子の人生に影響を与えます。

外国人児童は自らの意志で日本に来たわけではなく、多くは親の事情で連れてこられた子供達です。
日本が嫌いな子もいます。日本語なんて勉強したくないと思っている子もいます。
でも、彼らにはここ日本で暮らすために、そして、母国に帰る日が来た時のために
今学んでおかなければいけないこともあるんです。
もし、中途半端な気持ちでこのボランティアサークルに所属するつもりなのであれば、
今すぐこの教室から出て行ってください。
中途半端な関わりをすることはとても迷惑です。

私たちにとっても、子供達にとっても。

 

 
ガツーン!と来ました。 でも、本当にその通りなんですよね。
 
 
​​若かりし頃の私。
私が関わった子供達は、モンゴル、サウジアラビア、中国出身の3人。
このサークルでの経験は本当に貴重な時間だったと思います。
でも、手応えのある授業は正直できませんでした。
だから、日本語を教えることに少し恐怖というか、もしこの子の人生にマイナスの影響を与えているとしたらと考えると積極的に関わることに消極的な気持ちになってしまうこともありました。
この気持ちが、のちの挫折に繋がることになります。
大人と子供の違い。
どうすれば楽しく授業ができるのか?
子供にとってどんな授業が楽しいのか?
日本語支援と教科支援の難しさ母語保持の難しさ そんなことを考えながら仲間たちと一緒に取り組んでいました。
難しさと手応えのない支援の日々に焦りや不安、恐怖を感じました。(もちろん楽しい時間も多くありましたが、この気持ちが今でも強く印象に残っていることなんです)
今から思えば、「人生に関わるんだからしっかりしなきゃ!」とか「ちゃんと教えなきゃ!」とかそういう思いに偏りすぎていて、もっと大事なことを見落としていたのかなと思います。
今の私があの頃の私に何かアドバイスをするのであれば、きっとこう言うでしょう。
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そんなに心配しなくても大丈夫。
もちろん、子供達に日本語を教えることは責任あることだけど、
それだけ真剣に考えているのだから、その気持ちを持ってるだけでOK。
もっと肩の力を抜いて、日本語を教えることを、一緒に学ぶことを楽しんで!
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充実した?キャンパスライフを送っていた私に次々と壁が立ちはだかります。
  • 自分の模擬授業のビデオをみてあまりの下手さに想像以上に凹む(ビデオは封印しましたw)
  • 凹みすぎて、日本語教育学から少し遠ざかる(模擬授業トラウマw)
  • 日本語学で論文を書くも、指導教官の指導を1度しか受けずに論文を提出、 諮問で高校生の時に連絡した教授に「4年間何を学んだの?」といわれるほど散々な出来だったw
今から思えば何てことなかったんですけどw
あの頃の私は、周りのみんなの模擬授業がとても上手く見えて、
私なんて日本語教師に向いてないに違いないと思い込んで教育学から遠ざかりました。
また日本語学で類義語を学ぶうちに、類義語のニュアンスの違いをスラスラと言葉にできる周りの仲間が輝いて見えたんですね。
日本語の難しさや深さ、そして、自分の不甲斐なさ、力不足感をどんどん感じていくうちに「今は日本語教師になる自信ないや・・・普通に就職しようかな。」と思うようになりました。
要は、努力不足です。上に書いたのも言い訳です。遊びすぎたんですwバイトもしすぎましたw
外国人児童のボランティアサークルを訳あって辞めてから、日本語教育への熱意もさめてきて、勉強に時間もかけないし、逃げてばかりだった私。
私はそれを直視できなかったし、受け入れられなかったんです。
そして、そこからどうしていくかちゃんと自分と向き合えなかった。
「こんな私じゃ、日本語を教えられるわけがない。ダメだ。」
「教えるのが怖い。楽しくない。私なんか役に立たない。」
そう思っちゃったんですね〜。だから一般就職に逃げちゃいました。
これが人生初めての挫折でした。
自らの意志で日本語教師の道に進むことを辞めました。
猪突猛進型の私とは思えない、私らしくない選択だったかもしれませんね。
今までの人生、スーパーマリオのスターをゲットしたマリオみたいに ”根拠のない自信”があって、無敵だと思っていましたし、この自信のおかげでいろんなことを乗り越えて来たんです。
初めて自分に対する自信がなくなってしまったんです。
楽しくなくなっちゃったんです。初めて負のループにはまってしまいました。
(もちろん挫折したことが全てではなくて、この時のバイト仲間との縁は今でもあったりしますし、一緒に遊びまくった仲間との繋がりは今でもありますから、バイトをしたことも遊んだことも後悔はしていませんでした。)
さぁ、これからTomokoはどうするんでしょうか。
次回は、大学卒業から今日までのことを書いてみようと思います。
長くなってますが、
続く・・・