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私が日本語教師になるまで④ 完結

(再掲:以前のブログより)
 
おはようございます。
 
シリーズでお送りしてきた私の話もこれで完結しますw
ここまで読んでくださってありがとうございます。
もう少しお付き合い頂けると嬉しいです。
さて、挫折した私ですが、頑固さが短所であり長所でもあるので、
どうしても一度夢見た”日本語教師”という目標を完全に手放すことはできませんでした。
どうせ一般就職するのであれば、”教える”仕事についてみようと考えたわけです。
私が就職したのは医療系のコンピューターを販売している会社でした。
 
最初はインストラクター職を経験しました。
たまたますごく変わったおじいちゃんの担当になりました。
セクハラスレスレの?発言も多く戸惑いもありました。
大阪滞在年数がまだ浅かった私は大阪のボケについてゆくことができずツッコまれる日々。
でも、おじいちゃんは私のことをすごく気に入ってくれて、
インストラクター職を離れて同じ社内のコールセンター勤務に異動が決まり、
直接お会いできなくなる最後の日に花束にお菓子に
両手にいっぱいお土産を持たせてくれました。
 
コールセンター勤務になってからもおじいちゃんは用もないのに電話をかけてくれて、
私を指名して、絶対知ってるでしょっていう質問をしてくれました。
コールセンターでも名物おじいちゃんだったけど、本当にあたたかい人で素敵な方でした。
この仕事をして、教える楽しさ、伝わるやりがい、頼ってもらえる嬉しさ、
本当にいろんなことを学ぶことができました。
コールセンター勤務でもたくさんのことを学びました。
  • いかに短い時間で問題を解決できるか
  • 難しい言葉についてどれだけ噛み砕いて説明ができるのか
  • 資料を読んだだけで迷わず作業ができるマニュアル作り
  • 視覚に頼らず、聞くだけで上手く誘導して行く言葉選び
私は電話がめちゃくちゃ苦手なんですけど、ここでの経験を経て少し免疫がつきました。
ビジネス会話もここでたくさん経験したので、今の日本語教師の仕事にも活かせそうです。
そして、結婚して東京に引っ越し、また仕事をします。
営業事務と社長秘書を兼務しました。
経理事務も少ししましたが、こちらは全然身についておりません。
コールセンターは主に顧客とのやりとりですが、東京での仕事は顧客だけでなく取引先、
仕入先、時には海外の提携先の担当者と…いろんな人とのやりとりを経験できました。
東京での仕事は、大阪での仕事を辞めて時間があったので始めました。
教えることを目的とした仕事ではありませんでしたが、これも私の大切な経験となりました。
その後ちょっと体調を崩した私は、仕事を辞めてゆっくりすることにしました。
私はこの5年ほどの間に仕事だけに意識を向けていたわけではありません。
やっぱり心のどこかで、日本語のことが気になり、引っかかり、
日本語に関する特番なんかがあると食い入るように見たり、
社内で使われている言葉について分析したり、
日本語のことは細〜く長〜く考えていました。
仕事を辞めたあと、ペルーとボリビアに行きました。
現地ガイドの日本語のうまさ、日本語の間違い、やっぱり気になったんです。
そして、ガイドさんみたいに世界のどこかで
一生懸命日本語を勉強している人がいることを感じて、嬉しくなりました。
やっぱり日本語教育好きなんじゃないかなぁって思ったんですね。
夫からも
「一度は志した大切な夢なんでしょ?
 日本語の資格(日本語教育能力検定試験)をとってもう一度目指してみたら?」
と背中を押してもらい、試験勉強をすることにしました。
勉強し始めるともう楽しくて楽しくて。
大学の頃楽しかった授業のことが思い出されて、やっぱり好きだなって、
教えることはどうかわからないけど、日本語のこと好きだなって改めて感じました。
試験勉強、楽しいってちょっと変な人でしょ?
でも、楽しかったんですよ。
音声学の顔の断面図とかすごく好きだし、イントネーションの問題も大好き。
歴史とか条約とかそういうところは苦手だったので、苦手なところを念入りに勉強しました。
無事に合格して、
日本語学校に見学に行ったり、
模擬授業させてくれるセミナーに行ってみたりしながら、
さぁ!!!就職活動をしよう!!!!
と意気込んでいたところにひょっこり赤ちゃんがやってきてくれました。
それから6年ほどでしょうか。育児に専念しました。
私の経歴にブランクがあるのは、育児をしていたからです。
育児でもいろんな発見がありました。
言葉の覚え方、学び方、本当に一人一人違うこと。好みも一人一人違うこと。
言葉が遅い子への関わり方、早い子への関わり方。
育児でも言葉について本当にたくさんのことを学びました。
子供が大きくなるまで待とう、と思うこともありました。
でも、私がしたいことを叶える時間があってもいいのではないかと思い、
日本語教師を始めることにしました。
そのためにしたこともたくさんありますが、それはまた別の機会にお話できたらと思っています。
やっぱり一度は挑戦しないと!私の人生ですからね、私の気が済みません。
挫折を乗り越えるのに10年以上かかりましたし、今も不安も焦りもあります。
ここまで来るのにすごく遠回りをしたかもしれません。
だけど、氷河期だった大学卒業時とは違って日本語教育業界は人手不足と言われていますし、
オンラインレッスンも気軽にできる時代になっているし、
教え方も考え方も学習者も非常に多様化しているし、
色々と便利なものが手に入れられるこの時代に
日本語教師として仕事を始められることはよかったのかもしれません。
今だから、出会えた人もたくさんいます。
今だから、挑戦できることもあります。
このタイミングだから日本語教師になろうと思えるのだと思います。
こうして、私は日本語教師としての仕事を始めることになったのです。
 
完結!! ここまでお読み頂きありがとうございました!!
次は私のサービスについて書いていきたいと思います。